7 合理性と不合理性
1 合理性とは
少し古い話ですが、コロナが蔓延しているときの話です。
毎日の患者数を保健所が、病院からFAXで情報を集めて集計していることが話題になりました。
一見外から見ているとFAX利用をするのはすごく不合理に写ります。
しかし、当時は全国的に統一された集計システムがありません。
厚生労働省が求める調査票は患者一人ひとりについて細かい項目があり、とてもすぐにシステム化できるものではありません。
もし単純に「人数だけ」ならばシステム化は早かったでしょう。
ですが、現実はそう単純ではありませんでした。
厚生労働省は自分の守りを固めるため、多くの情報を集めようとします。
保健所は、各病院に送る調査票は、厚生労働省のひな形をそのまま送ります。
病院は、多くの患者で猫の手も借りたい状況です。
パソコンの前に座って入力マニュアルを読んで入力している余裕などありません。
そんな中で手書きであれば走り書きができます。間違いがあれば、手書きで二重線を引けば問題ありません。
病院はとりあえず保健所にそのままFAXするだけです。
その時点できる一番合理的なことのように思えてきます。
「不合理の合理性」でしょうか。
2 異動者(新人含む)のつぶやき
職員には職場の異動が数年毎にあります。通常、技術職の場合は同じような電気・機械設備の職場となります。
異動すると、前の職場(経験)との比較がついつい会話の中で出てきます。
・前の職場ではこのような取り組みをしていた。
・このようなプラント運用を行っていた。
・事務作業がもっと効率的だった。
などなど、本人としては、アドバイスであり、改善であり良いことを言っていることになります。
しかし、その職場に長く勤務している職員にとってはどうでしょう。
自分たちの仕事が不合理と言われているような気持ちになります。
ここで何が問題なのでしょう。
それは、相手にとっては異動してきた職員の目線が正しいとか正しくないではありません。
単純に「実情を良く分析していないと思われること」によると思います。いわゆる「よく分かっていないのに」と判断されます。
上記に記した合理性とは何かと言うことです。
実情は、
長い間、プラント運用のいろいろな試行を繰り返し、他者が見ると不合理だと言われるところに落ち着かざるを得ないのかもしれません。
また、実際不合理かもしれないが、運用操作を行う職員人達がその操作に習熟しており、他の応援がなくても確実な操作(重要)ができることもあります。
事務の管理を合理的にすると一部の人に過度に業務が集中するケースも考えられます。
何年も行っている作業には意味があり、敬意をはらうべき必要があります。
もし、本当に事務や作業を改善したいのであれば、まずは、その意味を時間をかけて考えるべきです。
そうすれば改善案が意味を持ち、説得力も出ます。
長年やってき作業には、人間関係を含めそうせざるを得ない必然の合理性があります。
そこに働いている人達は、その場でできる合理性で生きていると考えるべきでしょう。
だから、その合理性を無視すれば、心理的に気まずくなったり事務や作業が逆に滞る事態となります。
改善は必要ですがミイラ取りがミイラになってしまいます。
その失敗事例が
「6 故障の管理」
にも関連があるようで反省点ではあります。
3 これからの時代
以上のような悠長考え方は、変化の激しい、今の時代に合っているのか?
との疑問がわかないわけではありませんが、なかなかの難問です。
常に、懸案や改善点について話し合いができる風通しのよい環境整備はどのようにすればできるのか?
優秀な管理職だけに押しつけることのできない課題です。
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